ayaya

■松浦あややずっと好きでいいですか
こないだの日記で説得力がないと言った。
それ自体は半分マジで、半分ネタ(笑いを取るための悪意のない冗談)であった。
先ほど急にこの歌が聴きたくなって、CDは持っていないのでシングルVを流しっぱなしにしている。
前とは随分と違って聴こえる。
理由はあやなみ日記による「彼女がファンの心を繋ぎとめるのに必死である」という情報だった。
「ずっと好きでいいですか?」
この歌は未来を暗示するために世に生まれてきたのだろうか。
「結局永遠の片想い、あなたのことが好きです。」
これは誰のことを歌っているのだろうか。
私は前に茶化して、あややの告白を断る人間はそういないだろうから、これはむしろファンのことであると言った。
確かにそれも一つであるし、もう一つはやはり、松浦亜弥自身のことでもあるではないかと思うようになってきている。
彼女がファンにそこまで固執する理由は何か。
金か?地位か?名誉か?歌を歌うことか?ライブか?賞賛を浴び続けたいからか?
いずれの理由にせよ、彼女はファンにある程度の価値を認め執着をしているように感じる。
まるで、今までほったらかしにしていたものが自分にとって大変な価値があるのだということに急に気づいた子供のように。
しかし、そのものが松浦自身何なのか掴みきれてはいないのではないだろうか。
だから、必死になって何かをつなぎとめようとしている。
答えは明白、それはファンである、と答えた人間に問うとしよう
では、ファンとは何か?
私の答えはこうである。
アイドル松浦亜弥が偶像であるのと同様に、ファンというのもまた形のない偶像なのだ。
そして、松浦はまさに、この形のない偶像に執着している。
さすれば、この両者はどこまでいっても断続的、刹那的な交わりしか成しえない。
「時々繋がっていると感じることはできた、けど、それは単なる幻想に過ぎなかった。私とあなたが繋がっていたのは一時的な幻想、夢物語、私たちの心は通じ合ったかのようで、実際はお互い平行線のままだった。「結局永遠の片想い」だったの。それでも私はあなたが好き、たとえ幻想であっても、思いが永遠に一つにならなくても。ただ私にずっと好きでいさせてください、ねぇ、ずっと好きでいいですか?」
以上、何の答えにもなっていない私の妄言である。
亜弥ヲタでもないのに、こんなことを書くのはちょっと違う気もするが、
どうも僕には彼女がそれ程悪い人間には思えない。
ただちょっとした行き違いと幼さ、たったそれだけで非難や多少なりとも嫌な目を見せられるというのは
少々かわいそうだと感じたのがこの文章を書かせた動機のような気がしている。
余談だが、
この曲を今彼女がこの歌をどの様に歌っているかに興味がある。
ライブへ行くかもしれない。


■別に
日記にレスしまっくているのは選挙にでるためとかじゃないです。
ただ今までしてもらっておいて、しなさすぎたので。


では。