confusion

ちょっと頭が混乱しています。
でも、この混乱は多分悪い方ではなくて、良い方。
一眠りすれば良い具合に整理されてることを望みます。


スポフェス速報
早速買ったのですが、あの気持ち悪いデジカメ画質は何とかして下さい。
写真自体は結構良さ気なのに、あの気持ち悪いノイズだらけの画像。
予算抑えるためか何か知らないけど、読者を舐めすぎとしか思えない。
なんか不満ばっかりだとあれなんで、一応良いところも言っておきますが、
写真自体はそこそこ楽しめるカットがいくつかあったように思います。


■ロスト イン トランスレーション
という映画を見ました。
エンターテインメントという感じではない映画。
全然面白くはなかったんだけど、映画の舞台が日本で、
良く見慣れている渋谷や新宿なんかが映ると、それだけでなんかちょっと嬉しい。


■黒い家
という小説を読みました。
ご存知「青の炎」の著者である貴志祐介さんの作品で、
「青の炎」とは違い、ジャンルとしてホラーサスペンスといったものに分類されるものでありましょうか。
読み易さは青の炎に引き続き「さすが!」と唸らせるものがありますが、
青の炎程の読後の満足感は得られませんでした。
まぁ、ジャンルがホラーってんで違った意味の高揚感だとかは得られましたが。
まぁ、でも中々楽しめました。


あやや
スポフェス以降急上昇なんですが、これが。
歌がどうこうとか、性格がどうこうとか言うよりは、単純に彼女の肉体に興味があります(核ばきゅw


爆笑問題のススメ
を見てたら中野に行きたくなりました。
今週末あたり行こうかな
それにしても、昔の真鍋かをりの写真とか出てきて、懐かしく感じました。
あの頃はやっぱりかわいかったよなぁ


■日本人
というのは、論理的に何かの危険について説明されても、実際にその危険がその身に降りかかるまでは、
その危険性について中々認識しないそうです。
そして、いざその危険の中に陥った時の対処の早さと、復活までのスピードも中々だそうです。
要は行き当たりばったりということでしょうか。
実際、非論理的な日本人と揶揄されようとも、「未来は誰にもわからない」という真理からすると
我々日本人の行動は大変理にかなっているとも言える気がします。
そう未来は誰にも分からない。これを僕は真理だと思っております。
誰しもに可能性が広がっていると思うし、またそれを実現するのも自分自身なのです。
起きている間は理性が働いて「こんなことは無理だ」なんて常々思うわけですが、
一旦眠りにつき夢の世界に入ると、理性が吹き飛ばされて、いわゆる「縛り」がなくなります
色んな記憶の断片やイメージが縦横無尽に駆け巡り、つぎはぎされて、一つの物語を形作ることが良くあります。
その多くが矛盾していて、おおよそ整合性を欠くものであることはご存知の通りかと思います。
ただそのイメージはどれも可能性に満ちている気がします。
何か一つの道しるべを自分に与えてくれてるような気もします。
最初に言った文章とちょっとかぶる部分もあるのですが、日本人の性質として、
言語で説明されるよりも、映像の方が彼らの心に深く訴える力があるそうです。
まぁ、それは日本人だけだとは思えませんが。
僕はわりと昔しからイメージの力というか、思念の力というものを信じてる方で、
どうも自分の中の内的世界と、外的世界がどっかで繋がっている気がしてならないのです。
それは「そうだったらいいな」という単なる希望的な見方かもしれませんが。
この世界にルールがあるとして、それを一つ一つ知っていくごとに、掌握していくごとに
世界を俯瞰し、膨大な情報の流れに流されず、目的を達成できるのだとしたら、
僕はそれを知り、体得したいと思います。
実際にある事象や状況があるとして、そこから考えを巡らせると言った場合に、
論理的であるにしろ、直感的であるにしろ、そこには少なからず、いかんともしがたい「飛躍」があるわけで、
僕はそれを無視していたり、知らないふりをしていたり、全くもって気づかなかったりした場合には
心の中でいつもそういう人たちを少々バカにしているきらいがあります。
しかしながら、その一方でその「強さ」に魅かれることもあります。
まぁ、でも、いつまでもその場で留まっていてもしょうがないんですがね。
ものごとの価値を良く知りたいと思った場合には、
それを対象化し、相対化するなんて言い方も確かにできるでしょうが、
ただ単純にそれより悪いものを身をもって実感し、
それより良いものをこれまた身を持って実感することが良いのではないでしょうか
人間高見の見物ばかりしていると、いずれ興味がうせるので、たまには中に入ってみた方が良いと思います
そっちの方がやはり人生楽しいんじゃないかな。
性格とも言われるもんでしょうから、もしかしたら本人にもどうしようもないことなのかもしれませんが、
批評や、批判、時にぱっと思いついたことをその人に言ったとして、
それがその人のプライドなり自尊心なりを傷つけたとして、それは謝るのは当然、言った当人でしょうが、
言った人に傷つけるなんて気持ちが全くなかったにも関わらず、必死に、瞬時に反論してくる人がいます
それも全く正しくなく、自分が悪口を言われたのだから言い返さなければ、という子供の
ような低いメンタリティーしか持ち合わせていない証明であることも気づかずに。
それは性格的なもので、仕方ないのでしょうが、ただこういう人とは真面目な話しはできないと思いますね
何かを言ったら、それが自分の善意や、真実を見極めたいという純粋な批評精神にのっとっているにも関わらず
否応なしに、自分の欠点を指摘されたり、おおよそ世間的に見て正しくないような批判を受けるからです。
こういう人たちは一体何を考えているんだろうと思うことがあります。
自分自身を他のものと同一視して、それが少しでも批判されようもんなら食って掛かる
文字通り「食ってかかる」です。そこら辺の番犬と変わらないんじゃないでしょうか。
前に言っていたことを忘れて、全く新しいことを言い出すやつも嫌いです。
でも、誰にも思想や世界観の変化というものは訪れるものですから、
その時々の持論なんかは当然変わると思うんですね。
で、問題はそれを言う時の態度なんでしょうね。
「俺は世界をとったぞー」と言わんばかりの傲慢な態度には心底嫌気が差してしまいます。
言うのなら、謙虚に。多分の遠慮をこめてね。
僕なんかも、テンションが高い時や、相手があまりしゃべらなかったりした場合には
存分に持論を展開して、教鞭を振るうかのごとく、しゃべりちらすのですが、
その全ての語尾に「思う」とつけていると思います。
そして、その僕の理論に対して他人はどう思うかという意見を必ず聞くと思います。
そして、それが否定的なものであれ、肯定的なものであれ、一旦に自分の中に取り入れて、考えるようにしています。
もちろん、それが良いというのでは必ずしもなくて、
ただ瞬間的にしかも、世間的に全く妥当性のない反駁をする奴の気がしれないと思うのです。
ものごとを概念的にしか考えられないやつも嫌いです
普遍主義的な考え方と言ってもいいのかもしれません。
「これはこうこうこうだから、こうに決まっている」
死ねばいいのに。
言葉の上でしか物事を判断できなかったり、感情や、感覚、直感、
そういったものの存在を無視、というか知らない奴ら
確かに論理的に物事を考えるということは、それはそのまま他者に対しての説得にかなりの効果を持つと思います。
ただだからと言って、それ以外の可能性を切り捨ててもいいのでしょうか。
ただね、考えたり迷ってたりだけしていても、物事は進まないのは事実なんですね。
そして、進める際に人にそうなった理由を説明しやすいという点で合理的な
選択を取る人も結構多いんじゃないでしょうか。
僕はね、最近思うんですよ。
自分が何に囚われているのかって。
自分がこう思う理由は何だろうなって。
そこにはどんな、環境的な背景があるのか、思想的な背景があるのか、
歴史的な背景があるのか、遺伝子的な背景があるのかって。
それをね、見極めることができれば、いわゆるリベラル(←この言葉何か嫌い)になれるんじゃないかってね
最近またね、思うのが、もしかしたら僕を含め世の中の人は理由付けしすぎるんじゃないかって思うんですよ。
何でもかんでも、理由をつけて、納得すればそれでお終い。
時には強引な理由付けだったり、おおよそ真実からはかけ離れているのにも関わらず、それが納得しやすいという理由だけでものごとを処理している気がするんですね。
自分で言うのもあれですが、自分の感情の理由付けなんて、もしかしたらその最たるものかもしれませんね。
本当は理由なんか全くなくて、都合よくでっちあげただけだったりしてね。
あとねー、グチっぽくなってあれなんですが、キャラ付けする人、好きじゃないですね。
テレビで流行っているってか、テレビでは便宜上仕方ないことなんだと思いますが、それをね、
実社会の自分とまさに今対面している人間にも当てはめようとする人間がいるんですよね
僕は人間って1人1人違うと思ってるんですけど、まぁ、そんなことは当たり前だとは思うんですが、
そう思ってない人間もどうやらいるようで。
自分の劣性、相手の優性を認めないんですね、自分と一緒だと思ってるから。
で、そういうやつに限ってブランドや、名前や権威と言われるものに驚くほど弱かったりするんですね
弱いって言うのは、単にひれ伏すような態度を取るだけじゃなくて、すごくそれに対して反発したりするんですね
妬んだりだとかね。それも僕にとったらその権威に囚われているという点で一緒なんですね。
結果よりプロセスが大事なんて言葉彼らには本当の意味は理解できないんでしょう
せいぜい失敗したときの言い訳にしか使わないんじゃないですかね。
でまあ、僕は人間って1人1人違っていると思うから、その人と深く知り合えばそれだけで面白いと思うし、
そう扱うことも結構当たり前なんじゃないかと思ってますね。
1人の人間をさ、類型的な型にはめるようにしてさ、分類していって、
君はこんなことしないでしょ〜なんて言うやつは管理職とかにはもしかしたら向いてるのかもしれないけど、
マジな話しは絶対できないよね、少なくとも俺はそう。
相手にとって意外な点とかを許容してくれるような土台がないと、話す気にもならないよね
そういう価値観もあるんだって言うことを許容してくれる考えの持ち主じゃないと
腹を割った関係は築けないな俺は。
ただ近年僕が出会ったヲタな人たちはみな何故か良い人ばかりです。
もちろん中には本当に若干名ですが例外もいましたが、
その他の多くが相手の価値観に対して広いラチチュードを持ってる方々ばっかりで
これは本当に自分にとって幸運だったと思っております。
来年もどうぞよろしくお願い致します(何だそりゃw



じゃ、今日は以上。


■追伸
冒頭でも触れたように、今日は頭が混乱しています。
不快な点や、矛盾点があれば大変申し訳。
まぁ、なんか偉そうに書いたけど、自分も人から見れば批判されて当然なようなこといっぱいしてるんでしょうね
上に書いた悪い例にも洩れていないかもしれないね。
後日見返すのが怖いなぁーw