フットサル

前回の日記は縦読みすると「ドンマ〜イン!」とあったのに、誰にも気づいてもらえなかった俺、ドンマ〜イン!


スフィアリーグ
書くのが遅くなりましたが、行って来ました。
自身2度目となるフットサル観戦ですね。
ガッタスは惜しくも2回戦で敗れてしまいました。
まぁ、あれは仕方ないっちゃ仕方ないよね。
ほとんどミラクルみたいなゴールだしね、あっちの。
PKで吉澤が外すとは思わなかったけど、流れ的にかなりガッタスに不利な状況だったかなと思う。
まぁ、ガッタス負けちゃって残念だったけど、
こういうガチなところも含めてやっぱりフットサルは面白いですね。


で、肝心のののさんなんですが、セレモニー30分くらい前に会場についたため写真は既に売り切れ。
「まぁいいや」と思いつつも内心毒づき、一回戦を見ていたのですが、後半からののさんがキーパーとして試合にでて、相手のオフェンスと接触ののさんは勇敢にも突っ込んでいって、軽く吹っ飛ばされて、後頭部を打った模様。しばらく場内がしんとなりました。
僕もしんとなりました。それからののさんは大丈夫な様子でその試合は最後まで出続けました。
2試合目は、紺野が後半もキーパーを努めました。普通なら、「なんでののさんを出さないんだ!」ってちょっと怒り気味だったと思います。でも「ああ、良かった」これがその時の気持ちです。自分が子供だったとして、この程度のことで我を失うくらいに心配する親はちょっと嫌ですね。親子関係に限らず、それが例え恋人同士でも、友達同士でもやっぱりちょっと嫌でしょう。まぁ、人にもよるだろうけど、内心ちょっぴり嬉しい反面、やっぱり少しうざいでしょう。そこには少なからず当人の自尊心だとかプライドだとかが関係してくるわけですが、プライドの高い人間ほど他人に心配されるのを嫌う傾向があると言って良いと思います。ののさんは決してプライドが高いわけでもないと思うけど、恐らくそれなりのものは持っているでしょう。そしてそれというのは、彼女があのガッタスという集団の中で生きて行くには不可欠な要素だと言って良いんじゃないかな。競争意識って言うんですかね。それはきっと彼女にとってすごくプラスになるものだし、それを僕らがしゃしゃり出て(出られないけど)、あれこれ辞めさせろとは言えないわけですね。彼女の彼女のままの姿にそれなりの愛情を抱いているのであれば、やはりそれを尊重してあげなくてはいけない。ただ、しかしながら、彼女の元気そうでない姿や幸せそうにない表情を見ている時は、疑ってしまうわけです。「彼女の意志を尊重していて、果たして彼女自身は本当に幸せなのか」と。むしろ、それが彼女の意志そのものであるかも、我々には測る術はありませんし、何かを働きかける力というのも、限りなく皆無に近いわけです。ただそれでも、僕たちは、会場で声援を送ることや、グッズやCDを買うこと、コンサートへ足を運ぶことによって間接的に彼女を肯定していると言って良い。彼女の歌や行動や発言やガッタスでのプレイを見て、「YES」だと、伝えている。そうして、僕は彼女のありのままを肯定する一方で、変えさせようといういやらしい心と「干渉したい」という身に余る野心を抱いてる。いずれも当然の感情と言えば当然だ。それらのいやらしい下心は、そうすることが本当の目的ではなくて、自分と彼女の間にある「差異」と「距離」を測るための手段に過ぎないからね。僕が何をしようとも彼女の本当のところを一切変えることはできないでしょう。僕が彼女のことを心配するのは、自分のことを心配しているに過ぎず、それは彼女とは全く持って無関係。人が人に直接働きかけて人を変えられるなんてことを言うほど僕は馬鹿ではないし、それを愛情とでも言う奴はやはり何か勘違いしているとしか思えない。しかしながら、そう思う一方で、ののさんにはもっと元気でいて欲しい、怪我なんかしないでほしい、ヲタ共から多少は搾取して私腹を肥やすぐらいの強欲であってほしいと、思うわけです。まぁ、なんて言うか、難しいですね、こういうジレンマってほんと。(どんなまとめ方だよ!というツッコミはなしの方向でお願いしますw)




今日は以上。